熱い男WORLD 〜作詞家・売野雅勇〜 |
1987年
大学3年生だった僕は
就職活動を開始した
志望企業は東急エージェンシーとCBSソニー
それはある人の影響を強く受けた結果だった。
僕に影響を与えたその人は
売野雅勇(うりのまさお)
当時注目を浴びていた作詞家だ。
さかのぼれば1982年
僕が高校生の頃
地元である大分市の夏祭りにデビューしたてのアイドル歌手がやってきた
“中森明菜”
というその歌手は
ポニーテールと圧倒的な歌の表現力で僕らを圧倒した
それまでは全く興味のなかったその歌手に
一瞬でひき込まれた。
歌ったのは
『少女A』
その曲の作詞をした人が
売野雅勇だった。
当時インターネットなんてなかったから
雑誌やラジオなどから情報を得るしかないんだけど
何故だか
売野雅勇に関する情報はいろいろ入ってきた。
売野雅勇がいた会社が
東急エージェンシーインターナショナル
だったし
CBSソニーやEPICソニーに出入りしていた事を知った。
僕は大学生の時にアルバイトで
地元タウン誌の記者をやっていたんだけど
僕のペンネームは本名から“藤”という字を取り入れて
『藤野雅勇』にしてた。
それくらい売野さんに傾倒してたんだ。
結果的に
リクルートコスモスという会社に入る事にしたんだけど
あの頃
東急エージェンシーやCBSソニーに通ってた時の気持ちは
東京への憧れとともに
今も熱く心の中に残ってる。
そして2018年
Facebookで
売野雅勇と再会した
といっても僕が一方的にそう思っているだけで
売野さんから見ると
“全く知らない人”
なんだけどね。
でも相変わらず元気に創作活動をしている様子を見て
とてもうれしかったし
その人とつながれるFacebookというツールを
改めてすごいなと思った。
そして僕は
売野さんが当時の事を自ら書き綴った
『砂の果実』という本を取り寄せ
一気に読んだ。
そこには売野さんがコピーライターから作詞家になる過程が
詳細に書かれていて
なんだか我が事のように懐かしい気持ちになった。
なぜあの頃
あんなに売野さんの情報が入ってきたのだろう
今考えると不思議だけど
それだけ売野さんが時代の先端を行ってたという事なんだろう。
作詞家・売野雅勇
これまで素晴らしい歌詞の数々を僕らに与えてくれてありがとう
これからも楽しみにしているから
引き続きよろしく!
※売野先生、本文の流れを重視したため敬称略となった事をお許しください。
※『熱い男WORLD』は、2009年頃から僕が書き始めた<注目の人>について書いたシリーズです。