2014年 12月 25日
早すぎるよ! 〜母と過ごした究極の3日間〜 |
2014年12月21日
京都にいた僕は、突然の電話に言葉が出なかった。
「兄が倒れて病院に運ばれた」
という内容を伝えてくれた母の言葉は震えていた。
それ以降の予定を全てキャンセルして
兄のいる徳島へ向かった。
しかし、この時点で母の元には病院から
「兄が息を引き取った」という連絡が入っていた。
その事は、僕の元にもメールで届いた。
「早すぎるやろ!」
病院で兄と対面した。
言葉なんか出ないよ。
なんでなんだ!
という思いが駆け巡った。
徳島は全く知らない土地なので
どうしたら母の負担を最小限にして
実家のある松山へ兄とともに帰れるかを考えた。
葬儀社に運んでもらい
その夜はお通夜だ。
兄と母と、京都から駆けつけた長男・Kentaと4人で寝た。
翌日、30年以上前からお世話になっている
母が勤める幼稚園の牧師先生に来てもらい
お葬式を行った。
この時、先生から
「何事にも意味はある」
という事を言われたので
その事をずっと考えてた。
そして、自分なりの答えが見つかった。
その答えが正しいかどうかはわからないけど
僕はそれを理解した。
旅立つ兄を見上げながら
何度も「お前、早すぎるやろ!」とつぶやいた。
併行して兄の部屋の整理と車の処分に奔走した。
全く知らない土地なので
業者さんを探すところから始めた。
ただ、意外とスムーズに進み何とか目処がたった。
Kentaが手伝ってくれた事も大きかった。
全てのことが3日間で完結した。
その姿を見て僕やKentaが逆に励まされた。
この3日間は
享年50歳
兄の生きた半世紀と
これから過ごすはずだった時間のすべてを
ぼくは背負って生きるから。
うん、それでいい。
この3日間は
僕の人生で最も密度の濃い時間だった。
享年50歳
最期は誰にも迷惑をかけずに逝った。
兄の生きた半世紀と
これから過ごすはずだった時間のすべてを
ぼくは背負って生きるから。
うん、それでいい。
徳島を離れる前に母と眉山に登った。
そしてそこから、兄に言葉を贈った。
「兄き、ありがとう」
大きな声で叫んだ。
兄が好きだったこの町は
とても温かく、とってもいい町だった。
これからKentaと僕でしっかり母を支えていこうと決めた。
by fjblog
| 2014-12-25 12:06
| family